「死の桜」 縄文の息吹きより転載(1999年) |
「桜前線は人の歩く速さと同じなんです。でも津軽海峡でちょっとためらい渡れずに、踏みとどまるんですよ」。秋田県の大館で満開の桜を見たとき、タクシーの運転手が小さい声で言った。味のある枯れた風情の街並み。忠犬ハチ公の生まれた故郷での桜はひときわきれいであった。東北の桜を生まれてはじめて見ることが出来た。 2005年4月10日 裏六甲 吐呑ダム 今年も、桜のシーズンは終わった。都合四回の花見だった。一回はオープニングの日の大阪城公園。これはもう文句なし。次は夙川公園。この日は七分咲きであった。三回目は大川沿いの橋の下。先回書いたアイヌ系アウトドア住人との一席。遠くの花を橋の下から眺める変わった夜の花見となった。最後は又、夙川公園。この日は雨。ひるまず橋の下での花見を決意。雨に散る最後の花の散りぎわを愛でることができて幸せであった。 桜に魅せられて久しい。これほど美しい花があるだろうか。花というより、ある「概念」と呼んだほうが正しいかもしれない。じっと耐え忍び、力を序々に漲らせ、一気にほころび咲く。そして、はかなくも、はらはらと散る。無心なるがゆえに美しい。あれは二十歳の頃だったか。九州の津久見から、息子の仕事の都合で神戸の新開地について行っていた母方の祖母が思いもかけず「末期の胃癌」を宣言された。叔父から連絡があり、春休みでもあり、早速入院先の液済会病院へ見舞った。行くと腹水が溜まりお腹が張って苦しそうだった。病室の窓から見ると、海がひろがり桜の木が目に入った。祖母はうれしそうに「桜が見たい」と思いもかけぬことを言うではないか。動けないので手鏡で外を見たのか。近所の公園の六分咲きの桜を一本手折り、流しにあった牛乳瓶に入れて枕もとに置いた。祖母はたいそう喜んでくれた。折られた桜も本望というもの。翌日昼過ぎに見舞いにゆくと、桜はさらに美しく生気を放ち、祖母は逆に弱っていた。隣の患者の外出したベットを指差して「桜は縁起が悪いから処分してくれませんか」といわれたよ、と笑うので、捨てようかというと「形でものを言う者には、とりあわんでいい」と、全く意にとめる様子もない。その日、九州への帰りを急ぐ私に「相楽園の桜は美しいから見て帰るように」とのアドバイス。ひょっとして幽界に旅立つにあたり、ちょっと寄ってみたかったのだろう。桜を見て関西汽船で九州に帰った。そして四日目だったか、桜満開「花まつり」の日に亡くなった。 母も負けず劣らず、桜が好きだった。つねづね桜のような散りぎわに思いを馳せているふしがあった。ところが「念ずれば花開く」というのはこのことか。見事、実現出来た。昭和の世もやがて終りに近づく六十年春、母から「今日城山に向かう途中、墓地脇の枝垂れ桜が恐ろしいほどきれいだった」と、用もなく短い電話があった。受話器を置いたあと「ああ、あの木だな」とすぐにわかった。これから一週間後、春闘のビラ配りのため早く起きて会社近くの小さな公園になっている桜並木を通った。溝口健二の「雨月物語」の映画のシーンのように霞みがかかり幽玄な雰囲気。「何か起こる」の不思議な予感がした。あんのじょう、その週の日曜日の夕刻、電話が。近所の人からだった。 聞けば城山のふもとにある文化会館でその日開催された「池坊」の会合に出席した会場で倒れたとのこと。意識は無いらしい。「何かが起こる」の予感は的中。すぐ伊丹から機上の人となり、大分を目指した。ホーバーを降り大分駅前の縄のれんにいり、おでんと「西の関」のぬる燗で腹を満たした。日豊本線の灯りの暗い普通列車に揺られてのち、病院に着いた。 暗い病室に母は横たわっていた。しばらくしてから脳神経外科の権威である院長から「クモ膜下出血だから、このまましかどうもならんなあ」との言葉。覚悟はできた。それにしても、集中治療室は暗い、暗く感じるのか。しかも、寒い。花冷えか。心臓のリズムを示す波形がオッシロスコープに示され、「ピッ ピッ ピッ」という心拍のリズムが音声が聞こえる。だんだん波形は小さくなり、心音も弱くなり、やがて「ピー」という音にかわり波形も一本の線になった。一言も話すでもなく、あっけない別れであった。ふと病室の壁に目をやれば、事務的に貼ってある禁煙のステッカーの向きが逆だ。煙が下向きにたなびいている。なぜか不思議に爽やかな気持ちで突然の死を受け止めた。これは桜のせいだな、と感じた。 昔読んだ本の中にこんな一節があったのを思い出した。「子供の頃の夏休み、ギラギラする太陽。朝から蝉を追い、そして泳ぎ、真っ黒になって家に帰り、そして深い眠りにつく。充実した一日は、深い眠りが約束される。これは人生においても同じ』と。長生きはできても、チューブやコードに繋がれ枯れるように死ぬのも運命。突然嵐のようにこの世とおさらばしなくてはならないのも、運命。これに甘んじるよりない。避けられぬ死期を迎えるとき。ただ一つ許されるなら、桜の命と我が命と重ねたい。桜にあわせひたすら歩く。観念の中に生きる「日本の原型」を心に浮かべながら。やがて北限で桜は忽然と海に消える。その場で、命も燃え尽きる。全く夢のようなことを考えたりする。そんなことを考えさせたりするほど桜は魅力を秘めているということか。 ああ、今年も桜のシーズンは終わった。 ( Gordian Knot 第21号 1999年5月号 掲載) ぼんやりと地霊のごとく花あかり 酔墨 |
by tatinomi1
| 2005-04-10 15:23
| 路地裏の魔物
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Comments(5)
桜と花見に思いをはせる・・・人に思いをはせる桜・・・
“桜の命と我が命と重ねたい。桜にあわせひたすら歩く。” おっしゃるとおり・・・桜が命を「概念」として想い起こさせるのかもしれません。 桜・・・花見・・・浮かれるだけではない・・・人それぞれの命を愛でる春の宴でありたいものです。その命への神酒こそ・・・西の関であり、焼酎であると・・・
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冬が去り、春が来て、桜が咲く・・・時の流れ、季節の流れは、人間の心など、置いてけぼりで、巡ってゆくような気がします。
狂うように咲いて、さっさとの散ってゆく・・・。日本人の美意識に沿った花なのでしょうか。 桜の名所まで行かずとも、いたるところに桜の花が咲き乱れていますね。 昔、友人が誕生日にくれた本に、「70年生きても、桜は70回しか観られない」・・・そんな詩が書かれていました。 私は、いつも、「来年も、一緒に桜を観に来ようね」と、母に念を押します。来年まで元気で生きていてくれるようにーと。 追記 哲学の道の桜をトラバさせていただきました。 >「死の桜」 縄文の息吹きより転載(1999年) すみません。これは、ナンですか?教えていただけるとうれしいです。
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hanna
at 2005-04-11 12:31
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すみません。今、確認しましたら、トラバ、何故か、2つされています。
このコメントと、トラバをひとつ、削除願います。お手数かけます。
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MSHIBATA
at 2005-04-12 10:12
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tatinomi1 at 2005-04-16 09:34
HANAさんごめんなさい削除方法がわかりません。お花見、行かれましたか?「死の桜」は印刷業界誌に連載していたエッセイです。その時の題名が「縄文の息吹き」。この名称を引き継いだHP「縄文の息吹き」を立ち上げています。・・・といったことですか。
また、書き込みお待ちしています。 MSHIBATAさん、今日のサイン会、おめでとうございます。大盛況でしょう。いや、間違いなし。 |
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