「長木酒店」角打ちの原点に触れるの巻。こりゃあ勉強になる。 |
10位転落、応援クリックよろしく! 佐伯のバラック「雨月庵」生活も8日目を迎えるに到る。今朝は静かなる雨。そんな中、自炊もまあまあ楽しんでいる。昨日作った「鶏がらスープ」なんと旨い。神戸の自宅で「コープ神戸」の35円の鶏がらと全く味の深みが違う。値もこちらは80円。地鶏のガラである。立ち呑みが好きだった祖父が料理はしないのに「鶏がらスープ」だけは自分で作っていたのを思い出す。昔、昔。小学校の低学年の頃である。週に何度か自転車の後ろに「箱」を載せて売りにくる鶏肉屋あり。新聞紙につつまれたガラは不気味でもあった。売りに来るおじさんは「団塚」さんといい、確か20円だったように朧に記憶している。不思議なことではあるが、今朝の「鶏がらスープ」は、この小学校低学年頃の祖父の作った「鶏がらスープ」の濃厚な味である。ということは地場の鶏ということか。まあ、それに近いことなのだろう。 ◎味というのは、保守的であり「一度覚えた味」は記憶の底にとどまり、どくろを巻き、それ以降の味と比較する「標準原器」となる。小さい頃の食文化は一生つきまとい「とりもち」のように引っ付き逃れられない。私の場合「甘辛い味付け」それにあう「甘口で濃醇なる酒」は逃れられない宿命である。さらにいえば私のばあい、焼酎の原体験は宮崎の霧島、それも「霧島スナック」であり、これを離れることはできない。プレミア焼酎も 1合くらいは確かに旨いが、それ以降は「霧島」がいい。 ◎風土の呪縛もなく、水のようにあっさりした酒を愛する人士は、「標準原器」なき味の世界を漂流するのだろう。だから、プレミア焼酎、プレミア酒が売れるのだろうが、これはこれで結構なことである。プレミアによる利益を追っている方には、格好の上得意さんになる。酒は嗜好であり、飲むこと自体たのしみなのだから。いろんな楽しみ方があっていいし、楽しい。 ■本題■ 今日は、12時を回って西谷の「長木酒店」に行く。佐伯バラック生活の日課である。大将は配達。しょうことなしに、いつものビールと、アテの3点セット(これしかない)の、四角チーズ(関西は三角)、ウインナー、豆。これと缶ビール。先ずこれを呑み始め、次は本命カップ焼酎へ。半分ほど呑み、半分にビールを割って呑んでいると、大将のお帰り。あれこれ話しているうち、角打ちのお客さん。以前一度お会いしたこれまた「燻し銀」の角打ち士。いきなり大関の一升瓶を棚から取り出し、机の上にドン。コップを洗い桶から取り出し、自分で注いで呑み始める。あの伝説の「角打ち士」である。いつも一升買い求め、1合か二合呑んでかえる。アテは一切口にしない。関西の角打ち(立ち呑み)でも、北九州の本格角打ちでも、このスタイルの呑み方はないだろう。「角打ち」がまったく市民権を得ていないが故の呑み方。許されるのみ方である。「立ち呑みの流儀」の「持ち帰り酒」を同時にこなす粋な飲み方である。この角打ち士と、「ジャンボ焼酎の健康に及ぼす影響」にはじまり「郷里佐伯の魚の味」だの「最近のマッコリの不味さ」など話が尽きない。工事で全国を回った方と見えなかなかの博識である、何もアテは喰わないが。曰く「米の汁を飲めばアテはいらん。いつまでん、健康じゃあ」と。こういう日本酒呑みがいなくなったのは寂しいことである。 このあと「南国」ラーメン、で、にんにくを山ほど入れて喰い。そのあと、「ろさんじん書房」で珈琲を飲んで帰った。昨日調整しなおしたBSアンテナの向きがまた動いたのだろう、写らない。一人なので、テレビのボリュームを最大にして微妙にミリ単位で動かし、音の出たところで固定。テレビを見るのも苦労する。 |
by tatinomi1
| 2010-05-07 19:37
| 佐伯・墓地バラック生活
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