ジャンジャン横丁の「天ぷら一善飯屋」の魔力! |
昨日は朝9時に近所の病院に。膝の痛みの治療に。そのあと、帰り道。娘の家によって帰る。雨模様でうっとをしい。ニュースはあいかわらず中国のコロナウイルス問題。ネットではかなり過激な内容になっている。まあ、心配である。昨日は久しぶりに高台の角打ち。二枚入りの厚揚げを買って、塩をふりレンジでチン。味が単調なので駄菓子を乗っけて何とか、誤魔化して食べた。 ■本題■ 先日の新世界漂流。昼飯ということになり、ジャンジャン横丁で40年以上前からある「かめ屋」、久しぶりにここに。久しぶりに訪問して気づいたのは,①天ぷらが小ぶりになった②ご飯の量が少なくなった③天ぷらは3品以上おねがいします。以前は、観光のお客さんより土木建築労働者の方がおおかったので、ご飯はとんでもない大盛り。小ごはんでも一般食堂の大盛りくらいの盛りだった。しかもその値段が110円、120円、130円。こんな僅差の安価な値段だった。小と大とは値段差がわずかだが、その量たるや大違い。■この根底には「おもいやり」が込められている、と感じた30年以上前のとある日。おなかをすかせている懐の淋しい客に、おなかは満たされている客が少しずつ金を出し合う麗しいシステム。優しい時代ののどかな商売風景だったなあ。さらに糖質制限食のブームで「米飯」を食べなくなった昨今。盛りの多かったあの時代が懐かしく思い出される。 なんとも店に吸い込まれたくなるような、店構え。 昔は、単品販売。このような、高級セット販売はなかった。 やはり、「温泉付き遊戯施設」が近所にできてから、この界隈が綺麗な街に 激変した。こういう名店の商売手法も観光客向けに上品になった。 嬉しいことでもあり、さみしいことでもある。 左側の「鯖の天ぷら」も、かっての半分ほど。 ◎時代と、街の変容に合わせメニュー、天ぷら、ご飯の量はかわったが 一番の根幹は、「客の高齢化」 による食の細りではないかと思う。 酒文化破壊から・・・・ 素晴らしき國酒伝統を守るため。 コンテンツをぱくった 京都の「立ち呑み庶民」は、 悪びれず、京橋にまで進出 気分が悪い! |
by tatinomi1
| 2020-01-28 09:54
| 縄文日本の心栄え
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